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福岡高等裁判所 昭和50年(う)312号 判決 1976年5月26日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人東敏雄提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

同控訴趣意中事実誤認の論旨について。

所論は要するに、原判決は、被告人が塾の生徒であつた杉本和弘及び鈴木晴久に対し暴行を加え、仁木和朝に対しては暴行を加えたほか傷害を負わせた事実を認定するが、右はいずれも誤認である。就中仁木和朝に対する原判示第三と第五の如き事実はなく、原判示第三の場合は、ことさらジエスチヤーを大きくして実際には痛いような蹴り方はしていないし、同第五の場合はドライバーや錐で仁木の手に触わり、はさみで同人の前髪を少し切つてみせたにすぎないものである。原判決は証拠の評価を誤り事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというのである。

しかし、原判決挙示の関係証拠をそれぞれ総合すれば、各事実はいずれも認められ、所論において特に指摘する仁木和朝に対する原判示第三及び第五の各事実、とりわけ、被告人が右仁木を足蹴にし、ドライバーや錐で軽く同人を突き、はさみで同人の頭髪の一部を切り取つたことも否定できないところである。すなわち、

右の関係証拠によれば、被告人は、原判示第三の日時に足をかけて仁木を畳の上に倒したうえ、右足(原判決に左足とあるのは誤記と認める)でその左脇腹を力いつぱいではないにしてもかなりの痛さを感じる程度に三回位蹴りつけたこと、原判示第五の日時にドライバーの先で同人の腹部を二回位軽く突き、手工用錐で同人の左右両大腿部(素肌)をチクチクと軽く二〇回位突き、はさみで同人の頭髪(前頭部)の一部(額際から幅約五センチメートル、長さ約一五センチメートル)を切り取つたことがそれぞれ認められ、被告人の原審及び当審における供述中右事実と相容れない部分は措信できない。なお、その余の原判示各事実も証拠に現われ、原審がこれらの証拠の評価を誤つたと認むべき形跡は存しない。

したがつて、被告人に対し各暴行(原判示第五につき傷害)の事実を認定した原判決に誤りはなく、その他記録を精査し当審における事実取調べの結果を参酌しても、所論の如き事実誤認を見出すことはできない。論旨は理由がない。

同控訴趣意中事実誤認に基づく法令適用の誤りの論旨について。

所論は要するに、原判決は被告人の本件所為が正当行為ないし可罰的違法性を欠くものであることを看過し、これがため法令の適用を誤つたものである。すなわち、被告人は学習塾の教師であり、塾の生徒であつた仁木和朝、杉本和弘及び鈴木田晴久の三名は手のつけられないような子供であつて、これに相応し厳しく指導して学習意欲を刺激すると同時に、不良な学習態度を是正するためには懲戒することも必要であり、被告人の本件所為はいずれも右の教育上やむない懲戒行為として相当のものであつて、正当な行為であり、仮に違法にわたるものがあるとしても、その違法性は微弱にして可罰的違法性を欠く行為というべきものである。しかるに、原判決は本件行為を正当な行為といえず、可罰的違法性を欠くものでもないというのであるから、被告人の行為のこれらの点に関する事実を看過し、そのため法令の適用を誤つたものであつて、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというのである。

よつて、所論にかんがみ原判決の法令の適用を検討すべきところ、先ず所論指摘の被告人の懲戒権の有無に関し考えてみる。

およそ、学習塾などの教師は制度としての学校の教師とは異なり、生徒に対し直接法令に基づく懲戒権を有するものでないことはいうまでもないが、いわゆる学習塾が社会的に事実として存在し、それ相応の教育的機能を果していることは疑いのないところであつて、その限りでは右の学習塾の教師と雖も教育上ある程度の懲戒行動を必要とする場合が存し、これを肯定しても必ずしも不当なこととは考えられない。もとより右の懲戒権は塾の教師に固有のものではなく、その基礎は生徒の父母等の親権者からの委託に求むべきものであるところ、一般に親権者が自己の手に負えないような子供の懲戒を学校の教師など子供のよき指導監督者と目される者に委託すること、つまり自己に属する懲戒権の行使を委ねることは許されないことではないと解される。したがつて、学習塾などの教師が父母等の親権者からその子供の教育を依頼されるにあたり、包括的に教育上必要にして妥当な懲戒の委託をうけ、右教師においてこれに基づく懲戒権を行使することも是認できないものではない。しかし、その懲戒は常に教育目的上必要にして不可欠のものに限られ、その方法、程度も健全な常識に照し社会的に相当な範囲のものでなければならず、これを逸脱すれば違法であることはいうまでもない。

そこで、被告人の本件所為につきこれをみるに、被告人は、前進舎と称する学習塾の教師でありその塾に本件生徒三名(いずれも中学三年生)を父母より依頼されるにあたり、それぞれ厳しくやつて貰いたいと言われてこれを引受け、これが学習指導に当つていたものであるから、右三名に対し、前示の意味の懲戒権を有していたものと認めることができる。しかしながら被告人の本件所為は、杉本和弘に対し竹刀でその頭部を五回位叩き、鈴木田晴久に対し膝で同人の右顎等を五回位蹴り、竹刀でその腕等を一〇回位突き、頭等を数回殴打し、仁木和朝に対し(1)タオル掛用金具で同人の頭部を三回位叩き、(2)手拳で同人の顔面を数回殴打し、更に足をかけて畳の上に倒したうえ同人の左脇腹を三回位足蹴にし、(3)同人の腹部等を十数回足蹴にし、竹刀でその腕等を一〇回位殴打し、ドライバーや錐で軽く何回も突き、手拳で同人の顔面を四回位殴打し、錐やはさみで頭等を六〇回位軽く叩き、はさみで頭髪の一部を切り取つたというものである。右に明らかなようにその所為が有形力の行使としての暴力性を強く帯びていることは否定し難く、とりわけ竹刀等の器具を使つたり、手拳で連続的に殴打し又は足蹴にするなどの暴行であつて、懲戒のための行動としても、明らかに前記説示の懲戒の方法及び程度として許される範囲を逸脱しているものというべきである。

所論は、本件生徒はいずれも学習態度が悪く、説得によつてこれを是正することはできなかつたもので、教育目的上やむない懲戒であるというのである。なるほど、被告人が生徒の教育に熱心であり、本件三名の生徒の学習態度がよくないので、これを矯正しようという考えをもつていたことは肯認できるけれども、前示のとおりその手段方法ないし程度において許された懲戒の域をはるかに超えるものである。

次に、違法の強弱の見地からこれをみるに、被告人の暴行の直接の発端は生徒の居眠り、宿題を忘れたことや自習をしていなかつたこと等に被告人が立腹したことに存するところ、思わず手が出たというようなものではなく、前示のとおりその暴行は何回も執拗に殴る蹴るのみならず、道具を使つて突き又は殴りつけているのであつて、暴行の手段態様はもちろん被害も軽微とはいえないことに徴しても、その違法性をもつて微弱なものと断ずることは到底できない。

そうしてみれば、被告人の本件所為を以て正当な行為ということはできず、また可罰的違法性を欠くものということもできないので、暴行罪及び傷害罪の成立を認めた原判決(但し懲戒権の行使という点につき、被告人には親権者からの委託が認められないとする点において見解を異にするけれども、これにより本件所為を正当化することができないとする結論においては誤りはない。)は正当というべきであり、記録を精査し当審における事実取調べの結果を参酌しても、所論の如き法令適用の誤りは発見できない。論旨は理由がない。

そこで、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(平田勝雅 川崎貞夫 堀内信明)

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